ひえコラム 1

トイレ


たまにジョギングをする。できるだけ長い距離を走ろうと家を出るのだが、決まって最後はウォ−キングになっている。距離は長いがほとんど歩いている。有酸素運動にはかわらないと自分に言い分けをしている。そのせいで、おなかまわりの脂肪は減るどころか、増えるばかりである。一応、長距離を走るので希に便意をもよおす。
そんな時は私のジョギングコースの小さな公園の一角にあるトイレに行く。
このトイレが臭い。かなり古く、用をたして水を流すも水流が弱く、私はもっぱら“小”だが、おそらく“大”は流れないであろう。
しかし、そんなトイレに、ある日、改築中の札が貼ってあった。きっと、近代的にリニューアルされるでろうと期待した。
改築はいっこうにはじまらず、3ヶ月が経過したところで、やっとはじまった。
重機で取り壊す作業は1日で終わったようだが、その後の工事の進み具合が異常に遅い。
おかげでジョキング中、尿意をもよおし、御用達のトイレが工事中ということをうっかり忘れており、あそこのトイレまでの我慢だ、とあてにしていたことがあった。
勿論トイレは工事中で便器すらなく、仕方ねぇ、と公園で何年振りかに立小便しかないと思い立ち、立小便に適した木を発見し根本にロックオンする直前で、ベンチにアベックがいることに気付き、熟慮した挙げ句、断念した。しかし、立小便にベストな場所を物色してる一部始終をアベックに見られていたようだ。
尿意は更に切迫した状態になった。
まさか、いい歳して、失態を晒すわけにはいかないので、再び、仕方ねぇ、と民家の片隅で小便することを決意した。
家々は既に寝静まっており、上下ジャージにニット帽を目深にかぶったそのなりは、絵に描いた不審者である。おまけに、寝静まった民家を物色してるのである。
普通に歩いてるだけで、職務質問を頻繁に受けるのに、もしその時、おまわりさんに遭遇するようなことがあったら、即刻、射殺されていたであろう。
運良く、通行人もおらず、適した場所は容易に見つかった。
瀟洒な造りのお宅の裏門である。最高である。我慢の分だけ最高である。
捕獲された野生の猛獣が檻から解き放たれたようである。
あまりの勢いと軽い勾配になっているせいで、自分の足へ向かってアンモニアを豊富に含んだ水が流れてきた。
私の座右の銘は初志貫徹である。一度放尿はじめたものを途中でやめ、迫り来るアンモニアを回避するのはその座右の銘に反することとなる。放尿したまま、私はサイドステップで軽やかにかわした。
ギャラリーが存在していたら、喝采を浴びていただろう。
一難去ってまた一難、サイドステップで移動したその場所で今度はスポットライトを当てられた。
真夜中に不審な男の立ち小便姿が閑静な住宅街で浮かび上がった。どうやら、防犯用のセンサーが反応して、たまたまライトの下に居た私を照らしたようだ。
あせったまま、残りの尿の量を計算すると、まだまだ、終わらない。このままスポットライトを当てられたまま続けるしかない。
振り返ると、私の人生において一度たりともスポットライトなど当たったことなどなく、むしろ、好んで日の当たらない場所を歩いていたようにおもえる。今後、スポットライトが当たることもないだろう。
その後、件のトイレは無事改築が終了した。なぜかぼっとん便所になっていた。
普通、ぼっとんから水洗に改築されるならよくある話だが、水洗からぼっとんに改築されていた。
意図は不明だが、粋である。人は利便を追求するあまり、センサーが肛門の位置を察知し、そこに温水を噴射し、糞を流すという代物を作ってしまった。
そんな近代のトイレの進化に一石を投じたかたちとなった。このトイレはものは言わぬが、もしかすると、てめぇの糞くらいてめぇで拭け!と言っているのかもしれない。



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